縁起 (3/4)

1641年に確立し、200年あまり続いた鎖国時代、中国とオランダのみに門戸を開いた唯一の開港地長崎では、市民一丸となって貿易に従事し、貴重な海外の文物を日本にもたらしました。とりわけ唐船の活躍はめざましく、長崎はおおいに潤い、南京を中心とした大船主や貿易商を檀家とした興福寺は最盛期を迎え、大きな堂宇が建ち並び、僧俗男女が参集する禅の一大センターとなリました。
江戸時代の長崎は幕府直轄地として、幕府が任命する奉行、目付などが置かれましたが、貿易都市として外交、行政、通商を直接担当して実力があったのは地元長崎人でした。この中にあって、外交官的役割を担って活躍したのは、唐通事、阿蘭陀通詞と呼ばれる人々で、興福寺の有力檀家衆の家系からも高名な唐通事が輩出し、代々興福寺を支えたと伝えられます。
唐僧の渡来は、1700年代中頃にはなくなり、九代竺庵和尚以後の10代より日本人が住職となり、現在32代に至ります。

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