文化財 (4/10)

媽祖(まそ・ぼさ)

媽祖

媽祖堂(まそどう) 命がけの航海をした時代、長崎にやってくる唐船には守護神「媽祖」が祀られ、香花を供する者、太鼓役が乗り組み昼夜手厚く奉仕して航海の安全を願った。長崎に唐寺が建立されるのも、船が長崎に入港し、荷役を終えて出航するまでの間大切な媽祖さまを安置して礼拝するお堂が必要となり、媽祖堂を建てたのが始まりだといわれる。「媽祖」は中国福建語で「母屋に在る」という意味があり、常に温かく受け入れてくれる母性を感じさせる。伝説によれば、媽祖は、宋代の始めの西暦960年(日本の平安時代)3月23日に、福建省興化府甫田県の東南の海に浮かぶ眉州島(めいしゅうとう)に漁夫の林家の娘として生まれ、西暦987年9月9日に昇天した実在の女性。幼い頃から聡明で、15歳の時には儒教、仏教、道教の三経に通じ、超能力に優れ、海難事故から多くの人を救ったという。そして、28歳の時、「人々を救わん」と、泣きながら押しとどめる家族に別れを告げて、海上を歩き眉山に登ると、足下から風が起こり雲が生じて媽祖をつつみ、媽祖は光り輝く五色の雲に乗り神となって昇天したと伝えられる。こうして、媽祖は生前の神通力が、神となってさらに強力になったと信じられ、とくに航海に携わる人々の信仰を集めるようになった。中国歴代王朝は、媽祖に神号を贈って大切に祀り、長崎貿易盛んな清時代には「天后」の位を贈り、孔子、関帝(三国時代の英雄)と同列の式典を認めた。興福寺の媽祖像の先達を務めて立つ二鬼神。大きな耳を持つ「順風耳」(じゅんぷうじ)は千里先の風向きを予知して、媽祖に伝え、一方三つの目を持つ「千里眼」(せんりがん)は千里先を見通して媽祖を守護する。もともと悪さばかりする二人を、媽祖が改心させて忠実な部下となったという。媽祖像は、東南アジアを中心として、世界中に祀られているが、東明山興福寺の媽祖さまは、どっしりとした母性と金箔で覆われているのは珍しく、唐貿易のよき時代の船主たちの、いやがうえにも立派に、という心意気が伝わってくるようだ。

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