文化財 (6/10)
三江会所門(さんこうかいしょもん) 県有形文化財
三江会所門三江(江南・浙江・江西)出身の中国人にとって、興福寺は創建以来の菩提寺であり、同郷会館でもあった。明治元年(1868)唐人屋敷の処分が始まり、同年、彼らは興福寺境内に三江出身者の霊をまつる三江祠堂を建て、明治13年には、新たに集会場として三江会所を設置した。
会員は貿易額の0.5%を積み立て、また境内の畑地に借家を建てるなどして収入を計り経営維持を行った。会所には厨房もあり、法事や会合に賑わったが、原爆により大破し、門だけが遺存する。中央に門扉、左右は物置の長屋門式建物で、門扉を中心に左右に丸窓を配し、他は白壁、門扉部分上部の棟瓦を他より高くした簡素清明な意匠。肘木(ひじき)、虹梁(こうりょう)、彫刻など細部手法は純中国式で、大雄宝殿と同じ中国工匠の手になるものと思われる。敷居は高く、これは、豚などが門内に入らないよう工夫した「豚返し」と呼ぶ中国の様式。