句碑 (3/5)
虚子・藺花の句碑
「俳諧の月の奉行や今も尚 」 虚子
「去来二百五十年忌に値遇の縁」 藺花
昭和29年(1954)、俳人向井去来の250年忌がゆかりの地長崎で行われ「ホトトギス」で俳句運動を続けた高浜虚子、長崎俳壇のリーダー鍬先藺花が記念の句を寄せた。5年後の昭和34年(1959)、同門の道祖尾万水(さいのうばんすい)の寄進で句碑となり、興福寺本堂前に建立された。 松尾芭蕉十哲の一といわれた去来は、「西三十三箇国の俳諧奉行」と称され芭蕉から厚い信頼を受けていた。虚子の句は、これを踏まえて秋に死去した去来を「月の奉行」とうたい、今なお慕われる偉大な先人を偲んだ。芭蕉は長崎に憧れつつ西国に向かう途中、病を得て惜しくも大阪で客死した。